『君の名は。』映画未鑑賞で小説版を読んだ

なんとなく観そびれていた『君の名は。』だが、ネットのネタバレを避けていくのにも飽きたので、小説版を読んでみることにした。書評ではなくあくまで感想を書いてみる。

 

以下、ネタバレ注意。

 

一章、二章を読んでいる間はちょっと自分が精神的に参っていたので、それを考慮しなければいけないが、導入は読みにくい文章だな、と思ってしまった。

作者も後書きで書いているとおり、映画は三人称視点で描けるが、小説は主人公が入れ替わりながら一人称視点で書かれている。視点が入れ替わる、というやり方は昔から使われている方式ではあるが、上手く書いてあっても、やはり読みづらさは残ってしまう。

もっとも、京極夏彦好きとしてはこの程度の人称の揺れは誤差範囲内なので、読み進めていくうちに気にならなくなった。

 

時空を超えた入れ替わり、って事は構造的物理的にすれ違う運命にあり、しかも環境全て入れ替わるので相手の事を否が応でも理解しなければならない。好きな相手に絶対に会えないという設定自体が切ない。

 

入れ替わりという超常現象については置いておく。ファンタジーの設定に疑問を差し挟むのは野暮なので、素直に受け入れる。

気になるのは、入れ替わりの理由というか、その人物が入れ替わった必然性についてだ。みつはについては巫女の家系で役割が与えられているから、入れ替わるのは必然だ。だが、瀧が入れ替わりに選ばれた理由がちょっと弱い気がする。理由として考えられるのは、みつはが生まれ変わったら都会のイケメンと思ったこと、くらいだろうか。それとも、入れ替わりの目的を果たしてくれる人物が自動的に選ばれるのか…

 

天文学的な確率をいくつも潜り抜けて出逢った二人が惹かれ合うのも必然、ということか。小説自体はちょっと集中したらあっさりと読み終わった。読後感は爽やかで、ハッピーエンドで良い。

ただ、タイムパラドックスとか彗星の軌道とかイチャモンをつけたければいくらでもツッコミどころがあるのは致し方無い。多分、みつは達が助からなかった並行世界は何処かに存在するのだろう。ハッピーエンドの世界を選択して観察しているに過ぎないのかも、なんて。

 

ここまでヒットした理由は、小説を読んだだけでは私にはわからなかった。これ以上の考察は映画を観てからにすべきだろう。